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2017年11月15日 (水)

母の通学路

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玉川上水緑道の、「幡ヶ谷」あたりを進む。

実は、母が遺した書き物が手許にあり、それによると幼少時代の大正11年から昭和7年まで母は、今は欄干だけが残る「山本橋」の側に住んでいた。そして大正12年の関東大震災も、小学校1年生時にここで遭っていて、当日は余震が夜まで続いたので庭に蚊帳を吊って寝たと書いている。

当時のこの辺は武蔵野の原野が拡がっていて、「大山園」や徳川幕府の直轄地だった「徳川の原」という名の原っぱが続き、南には小田急線開通のための土砂を運ぶトロッコが見得たという。

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今も残る「大正8年11月」に造られた「灯篭」も、なぜかこれだけ残された橋の「親柱」も、多分母は目にしていただろうと思うと、複雑な気分になる。

玉川上水のこの流路は当時もう本流ではなく、甲州街道の北側に「新上水」が一直線に淀橋まで通っていた。

Pb101643_2母は近所に「西原小学校」が出来るまで、初台にある「幡代小学校」まで通っていた。

多分この「旧玉川上水」脇の道を、通学路として使っていたと思うが、幼い子供にとって道のりは遠く、辛いことも有ったと思う。

今はあれから約1世紀が過ぎ、年老いた息子が「よたよた」と同じ道を歩んでいるのである。

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